petitscopains

記事一覧(57)

いとうたつこ作曲作品展

いとうたつこさんは本当の音楽家だと思います。本当のって何?と言う話ですが、イメージとしては昔の作曲家です。有名どころではバッハもモーツァルトもベートーヴェンもシューマンもワーグナーもラフマニノフも皆、作曲をし、楽器を演奏し、指揮をし、またワーグナーに至っては文章を書く達人でもあり、オペラの台本も自分で書き、果ては自分のオペラ上演のためだけに劇場まで造ってしまった(バイロイト祝祭劇場)。いとうさんは作曲家でもあり、歌手でもあり、ピアニストでもあります。あ、それに、トークにも絶妙な味があります。フライヤーの表に昨年のコンサートの批評が載っていますが、正にその通り!と思います。いま書いていてふっとお顔がよぎりましたが、2017年に仲田が帰国してから、長町順史さんと言うピアノの名手(特にアンサンブルもの)が亡くなったのを知り、驚きました。生前お会いするとお伺いしたい事が沢山あり過ぎて質問攻めにしてしまいましたが、彼も大学はピアノ科で、その後より歌を理解するため藝大の声楽科に入り、と言う経歴でした。晩年はソロ・リサイタルも意欲的に企画して、「伴奏も良いけど、ソロピアノを弾くことが、自分のバランスとして良いんだ」と言われていたのを思い出します。振り返ると、仲田は学生時代、シンガーソングライターになりたく、作詞作曲をして弾けもしないギターを買ってしまいました。イタリア留学中は伴奏に行った声楽の先生に「歌を教えて下さい」とレッスンを受けました。帰国後は師匠の指揮に触れ「指揮を教えてください!」と嘆願しました。色々やる方が”自分には”合っているようです。4月のコンサートでは、初めて”ソリストのアンサンブル”を入れたい、とのお話がいとうさんよりあり、仲田が信頼する歌手4人にお願いしました!ピアノを弾きながらか、または立ち上がらないといけないのか?指揮もする必要がありそうな匂いがします。

洲之内徹さんを知っていますか

洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 1987年10月28日)は愛媛県松山出身(同郷!)の美術エッセイスト、小説家、画廊主・画商です。美術エッセイ「気まぐれ美術館」の筆者として名高い、とありますが、知る人は少ないでしょう。 仲田は昔は良く色々な本を読んでいましたが、洲之内さんの文章を読むと「文章ってこう言うもんだよな」といつも納得してしまいます。以下、彼の美術エッセイから抜き出した文章。”絵”を”音楽”やその他いろいろな事に置き換える事が出来る、そんな不変の言葉です。◯しかし、一枚の絵を芯から欲しいと思う以上に、その絵についての完全な批評があるだろうか◯絵は絵だというのが、いうならば私の絵画論の全部である。絵が自分で語りかけてくるもの以外は、ほんとうは、私はあまり信用しない。◯その「ポワソニエール」は一枚の、紙に印刷された複製でしかなかったが、それでも、こういう絵をひとりの人間の生きた手が創り出したのだと思うと、不思議に力が湧いてくる。人間の眼、人間の手というものは、やはり素晴らしいものだと思わずにはいられない。他のことは何でも疑ってみることができるが、美しいものが美しいという事実だけは疑いようがない。

原稿

La finta giardiniera 偽りの女庭師

今日は勤めている昭和音楽大学の修士課程修了オペラ公演の通し稽古でした。指揮は師匠、星出豊先生の弟子が集まる「星出会」の大先輩大勝秀也マエストロです。モーツァルトのこの「偽りの女庭師」、タイトルをお聞きになったことはあるでしょうか?この作品は1756年生まれのモーツァルト18歳の時の作品です。まだ粗削りで、レチタティーボ(チェンバロやチェロの伴奏で話すように歌われる部分)もその後の傑作、フィガロの結婚やドン・ジョヴァンニなどとは比べ物になりません。曲もアンサンブルは冒頭や幕の終わりに限られて、後は登場人物が一人で歌うアリアばかりです。でも、モーツァルトのその後の作品を知っていると、未来の傑作へのアイデアが既に散りばめられていてニンマリしてしまいます。修士課程の学生たちは正に”頑張って”歌っています。一線で活動する指揮者、演出家、照明家や舞台スタッフや助演の助けを借りてはいますが、何より、必死に歌い演技する彼らの120パーセントの表情や歌声を聴いていると、何か、ぐっと来るものがあります。勿論レベルとしてはまだまだです。もしかすると・・この舞台を最後に二度とこのような晴れやかな舞台に主役として立つ事がない生徒もいるでしょう。ただ、感動と言うのは単純なようで複雑・・いくらお金を払って大きなプロダクションの公演を見てもさっぱり感動しない事もあります。若さゆえのエネルギー、無鉄砲、やぶれかぶれ(笑)、挑戦心・・これはある意味お金を払っても見る価値はあるな、と通し稽古が終わり感じた自分に驚きました。お時間のある方は是非、この素晴らしい作品と、若き歌い手達の”生き様”とも言える舞台を見に・聴きにいらして頂けたらと思います。

プチ☆コパンコンサート2018終演しました!

プチ☆コパンコンサート2018「ドビュッシーを訪ねて」は昨日無事に終演しました。ご来場頂いた皆様、遠くから応援して下さった皆様、会場でお手伝いをして頂いたスタッフの皆さま、家族一同、そしてチラシ・チケットデザイン制作のtokotonさん、舞台監督のすみりんさん、本当に有難うございました!!昨日のプログラムは以下の通りでした。=========================================プチ☆コパン コンサート 2018   ~ドビュッシーを訪ねて~ ●ドビュッシー:小組曲1. 小舟にて     2. 行列  3. メヌエット     4. バレエ  ●ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女  pf solo●ドビュッシー:ゴリウォーグのケークウォーク●オッフェンバック=ドルドラ:ホフマン物語ファンタジーPause●ゲーゼ:ジェラシー ●ピアソラ:オブリビオン~忘却~●ヘルマン:黒い瞳●コルンゴルト:手紙の歌 オペラ「カトリーン」より    pf  solo●コルンゴルト:ピエロの歌 オペラ「死の都」より●チャイコフスキー=プチ☆コパン:くるみ割り人形メドレー=========================================今回は新曲が多く、特に工藤は大変だったと思いますが譜読みや合わせが大変だった曲こそアンケートを読むとお客様の満足度が高く、やはりそういうものなのだな、と感じました。

La Traviata 椿姫

先々週から藤原歌劇団のオペラ公演「椿姫」の稽古が始まっています。今回初めてオペラの現場でご一緒するマエストロ、佐藤正浩さんより依頼され副指揮で参加しています。演出は粟國淳さん、新国立劇場の公演「アイーダ」や研修所の公演でもお会いしていましたが、ここまでじっくりご一緒出来るのは初めてです。今は音楽稽古をしながら、”テーブル稽古”なるものをしています。粟國さんが、「椿姫」の登場人物たちの性格や互いの関係性、時代背景や音楽とテキストの結びつきなど、細かく紐解いて説明して行きながら、歌手とディスカッションしつつ音楽稽古をして行きます。こういうやり方は初めて見ましたが、とても興味深く、粟國さんの説明を受けて、それぞれのアーティストが”自分自身で”考え始める事が多くなるように思いました。粟國さんは「椿姫」の演出は二回目(以外に少ない)との事ですが、だからこそ変な思い込みがなく、成程・・と思われる深い読み込みに、ついついこちらも楽譜にメモを取る毎日です。こういう現場は自分にはとても、幸せです。一つの役を聴いて(見て)「ああ、この人(登場人物)はこういう人なんだな」と聴衆を深い所で納得させられる歌手や役者は少ないように思います。また、何かの演奏を聴いて「この作曲家はこんな人だったのか」と聴衆に思わせる事が出来る指揮者も少ないと思います(アーティスト自身が目立つ事は多々ありますが)。そういう意味で、先日聴いた師匠星出豊先生の第九の演奏は「ベートーヴェンはこういう人だったのかもな」と想像しながら聴いていた自分がおり、今の時代には中々聞けない種類の演奏だったと思います。改めて自分の指揮・音楽への向き合い方を考えさせられました。

交響曲「パリ」/ モーツァルト

明日は日野にある”ひの煉瓦ホール”でコンサートです。後半はモーツァルトのレクイエムですが前半は交響曲「パリ」を指揮します。「パリ」は1778年に初演された交響曲で初演後に父レオポルドに宛てた手紙が残っています。それを読むと、どれだけモーツァルトが意識してお客さんに”受ける”ように作曲したか垣間見えます。”最初のアレグロのちょうど真ん中に、うけるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました””当地(パリ)では最後(第3楽章)のアレグロはすべて、第1楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていました””2部のヴァイオリン(パート)だけで8小節を静かに続けたら、ぼくの期待した通りに客席から「シーッ!」がきこえ、続いて強奏になるのと拍手が起こるのと同時でした”聴衆の期待に応えたり、わざと定番のやり方から外したり、それはそれは周到なものです。現在の聴衆はロマン派以降のリッチなサウンドに慣れていますが18世紀後半の当時はfとpの交代も効果的に使えばかなりのインパクトだったでしょう・・